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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8679号 判決 1982年10月25日

原告

沼田陽一郎

右訴訟代理人

大西幸男

浅野憲一

被告

右代表者法務大臣

坂田道太

右指定代理人

布村重成

外一名

東京都

右代表者東京都知事

鈴木俊一

右指定代理人

金岡昭

外三名

主文

一  被告東京都は原告に対し、金一七五万六八〇〇円及びこれに対する昭和五〇年一〇月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告国に対する請求及び被告東京都に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告東京都との間においては、原告に生じた費用の三分の一を被告東京都の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告国との間においては、全部原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本件の概要

次の事実は当事者間に争いがない。

1  原告は、昭和四九年一月一六日午前六時四〇分ころ、山谷労働センターに赴いたが、同日午前七時二分ころ、センター内の相談室に何者かによつて爆竹が投入され、さらに同日午前七時二〇分ころ、火のついた紙がセンター紹介窓口内に投入されたため、センターに多数の警察官が突入し、センター内にいた労務者一名が逮捕されるという事態が発生した。

2  そこで、センター内にいた約一〇〇名の労務者は、右逮捕に抗議するため、逮捕された労務者が連行された山谷地区派出所に向かつて移動しはじめ、原告も右労務者らと共に山谷地区派出所付近、山谷泪橋近くの「あさひ食堂」前路上を歩いていたところ、同日午前七時四七分ころ、原告は、警視庁第二機動隊所属の司法警察職員太田勝木、同松下星路両名に威力業務妨害罪の容疑で現行犯逮捕された。

3  原告は、右逮捕に引き続き、同月一八日、東京地方検察庁検察官押谷靱雄(以下捜査担当検察官という。)の勾留請求により勾留され、同年二月六日、同検察官により、身柄拘束のまま前記威力業務妨害の公訴事実で東京地方裁判所に起訴された。

4  東京地方裁判所は、東京地方検察庁検察官市橋光宏(以下公判担当検察官という。)立会のもとに審理を遂げ、同五〇年五月一四日、右公訴事実につき原告に対し無罪の判決をなし、検察官は右判決に対して控訴しなかつたため、同月二九日、無罪判決が確定した。

二本件逮捕について

1  本件逮捕の経過

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  警視庁第二機動隊所属の警察官二〇余名は、同浅草警察署所属の警察官等とともに昭和四九年一月一六日午前六時四〇分ころ、センター内外における違法行為取締等の目的で、センターに出動した。太田・松下両警察官は、右第二機動隊第四中隊所属の私服警察官(太田は司法警察員巡査部長、松下は司法巡査で、松下は太田の部下という関係にあつた。)であつたが、同時刻ころ、センターに着き、太田巡査部長は主として別紙図面(一)表示A点付近で、松下巡査は同図面表示B点付近で、それぞれセンター内外の警戒にあたつていた。なお、当日は、同じく第四中隊所属の長倉巡査も太田・松下両警察官と行動を共にすることになつていた。センター内部は、別紙図面(一)表示のとおりであり、センター周辺は、同図面(二)表示のとおりであつた。

(二)  当時、センター内寄場には、原告を含めて、一〇〇名あるいはそれ以上の労務者が求職のため雑然とたむろしていたが、同日午前六時五七分ころ、悪徳業者・暴力手配師追放現場闘争委員会(以下現闘委という。)のメンバーである通称宮越なる男が、トランジスターメガホンを使つて、「職をよこせ」「人間らしい仕事をよこせ」などと演説を始め、これに呼応して紹介窓口を手でたたいて、「仕事を出せ」「仕事が出さなけりや金を出せ」などと怒鳴る労務者も現われた。そして、同日午前七時二分ころ、寄場から二番紹介窓口を通して相談室内に爆竹が投入され、これが爆発するという事件が発生し、センター職員は、全ての窓口のシャッターを閉めて、奥の事務室に退避するとともに、「このような状態では業務が続行できない」旨のアナウンスを流した。

太田・松下両警察官はじめ、センターの警戒にあたつていた警察官は、右事件の発生に気付いたが、爆竹投入犯人の検挙に移る等の特段の行動には出ず、従前の警戒を継続するに留まつた。

(三)  同日午前七時二〇分ころ、今度は火のついた紙が寄場から紹介窓口を通して相談室内に投入されるという事件が発生したため、センター警備の指揮官であつた浅草警察署の後藤警備課長から警戒中の警察官に対し、「入れ」という命令が下された。そこで、太田・松下両警察官を含む一二、三名の警察官が寄場内に突入し、労務者は散り散りになつて外に出た。

その際、労務者の一人である山岡憲一が、火のついた紙を投入した等の疑いで数名の警察官によつて逮捕されたが、原告に対しては、特段の検挙活動はなされなかつた。

(四)  寄場外に出た労務者は、山岡の逮捕に抗議するため三三五五、山岡の連行された山谷地区派出所に向かつて移動しはじめたが、原告は、現闘委のメンバーを中心とする二〇名位のグループに追従して移動した。寄場外に出てからの原告の移動経路は、別紙図面(二)に矢印で表示したとおりであり、原告は、同図面表示イ点付近で、路上に爆竹一個を投げて爆発させ、同図面表示ロ点付近でグループから離れて「あさひ食堂」の方向に歩いていたところ、同図面表示ハ点付近で、同日午前七時四七分ころ、太田・松下ほか二名の警察官によつて現行犯逮捕された。

(五)  本件逮捕は、太田・松下両警察官が、当日午前七時二分ころ、原告が相談室内に爆竹を投入し、威力業務妨害罪を犯すのを現認したことを理由としてなされたものであつた。

原告は、本件逮捕後、山谷地区派出所に連行され、上着(ジャンパー)のポケットに入つていた使用済みの爆竹の袋一枚、未使用の爆竹一袋、マッチ一箱等を押収され、更に同日午前八時二六分ころ、警視庁浅草警察署に連行された。

現行犯人として逮捕された原告を受け取つた同署司法警察員川嶋義和は、同日午前八時三五分ころ、原告に弁解の機会を与えて弁解録取書を作成し、さらに同日中に、同署司法警察員戸泉政富が原告を取調べて供述調書を作成したが、原告は完全に黙秘し、いずれの場合も署名押印を拒否した。

以上の事実が認められ<る。>

2  寄場内における原告の位置

(一)  <証拠>によると、太田・松下両警察官は、爆竹投入時の寄場内における原告の位置について、次のように述べていることが認められる。

(1) 太田巡査部長が原告を逮捕した四名の警察官を代表して作成した昭和四九年一月一六日付現行犯人逮捕手続書(乙第一号証)には、「午前七時二分ころ、濃い草色のジャンパーを着、白色タオルで頬かむりをした中背、細面、アバタ顔の男が爆竹を投げ込んだため、求人受け付け事務所内では、「バンバン」と音がし、騒然となつた。」旨の記載があり、同現行犯人逮捕手続書添付図面には、被疑者(原告)が、別紙図面(一)のD点付近から紹介窓口を通して爆竹を投入したように表示されている。

(2) 太田巡査部長の昭和四九年一月一六日付司法警察員に対する供述調書(乙第二号証)には、「奥から二番目手前付近の紹介窓口(五番窓口)めがけて、沼田陽一郎が爆竹を投げた。」旨の供述記載があり、松下巡査の昭和四九年一月一六日付司法警察員に対する供述調書(乙第五号証)には、「六番窓口のすぐ前にいた沼田の右手が上り、その手が前方に振り下され、窓口めがけて何か投げ込んだようなしぐさが目に映つた。その瞬間窓口内でババババーンという音が五〜六回した。」旨の供述記載がある。

(3) 太田巡査部長の昭和四九年一月二二日付検察官に対する供述調書(乙第三号証)には、「沼田が右手を横に振るようにして二番窓口の中に何か投げ込んだ。投げるというよりは軽く振り込むというような動作だつた。投げ込んだものは小さく軽いものだつたが、何であるかは判らなかつた。次の瞬間窓口の中でババババーンという連続爆発音がしたので沼田が爆竹を投げ込んだということが判つた。二番窓口の前で仕事を待つていた労務者達は、窓口から一メートル以上は離れており、爆竹を投げ込むような動作をしたのは沼田だけで他にはいなかつた。」旨の供述記載があり、松下巡査の昭和四九年一月二三日付検察官に対する供述調書(乙第四号証)には、「沼田は三番窓口の前に立つており、窓口に体をつけるようにしていたが、右手を水平に振るようにして何かを二番窓口の中に振り込むようにした。その時は何を投げ込んだのかは判らなかつたが、その動作が終わつた直後、窓口の中で爆竹が激しく鳴つたので、爆竹を投げ込んだということが判つた。」旨の供述記載がある。

(4) 太田巡査部長の昭和四九年一月二九日付検察官に対する供述調書(乙第一三号証)添付の図面には、原告が爆竹投入時、三番紹介窓口の前にいたように表示されており、松下巡査の昭和四九年二月一日付検察官に対する供述調書(乙第一四号証)には、「沼田が二番窓口の前あたりにいて、二番窓口から投げ込んだことは間違いない。」旨の供述記載がある。

(5) 太田巡査部長は、本件刑事事件の第四回公判期日(昭和四九年七月五日)において、証人として、「沼田は、二番か三番窓口あたりに、左肩で受付のガラスの方へ寄りかかるようにして立つており、大体北側の方を向いていた。午前七時二分ころ、右手を肩の高さまで上げて、二番窓口あたりに向けて何かを放り込むような動作をした(上げた右手を水平に振つた)。何か投げたのかなと思つたら、瞬間的にバババババンという音がした。そこで沼田が爆竹を投げたんだなと感じた。」旨供述しており(甲第七二号証)松下巡査は、本件刑事事件の第五回公判期日(昭和四九年七月二五日)において、証人として、「沼田は、三番窓口に体側をつけるようなかつこうで立つていた。体は北側の入口方向に斜めに向かつていた。午前七時二分ころ、右手を肩と大体同じくらいの高さに上げ、それからちよつと斜め下に向けて手を下ろした。この動作は、通常物を投げる動作だつたので、何か投げたかなと思つた。するとそのとたんにバンバンバンという音がしたので、沼田が爆竹を投げたと判断した。」旨供述している(甲第八一号証)。

(6) 太田巡査部長は、本件における証人として、「沼田は、ずつと二番と三番の窓口の方に、左肩で壁に寄りかかるような形でいた。顔は北側を向いていた。午前七時二分ころ、右手を肩のあたりまで上げ、横に振るような感じで軽く物を投げるような動作をした。何かを投げたなと思つた直後にバンバンバンという爆竹特有の音がした。それで沼田が爆竹を投げたなと思つた。」旨供述しており、松下巡査は、本件における証人として、「沼田は、二番と三番の窓口の間あたりのカウンターに左体側をもたれ掛けていた。午前七時二分ころ、右手を肩のあたりに上げ、さつと左下に投げ下ろすような動作をした。その直後に爆竹が鳴つたので、沼田が爆竹を投げたと判断した。」旨供述している。

(二)  一方、<証拠>によれば、本件逮捕当日、求職のため山谷労働センターに来て、爆竹投入時前後に寄場内に居た労務者で、本件刑事事件の公判において証人として出廷した者及び原告は、爆竹投入時前後の寄場内における原告の位置について、次のように述べていることが認められる。

(1) 平尾靖政は、第八回公判期日(昭和四九年一〇月二九日)において、「爆竹音を聞いた二、三分前に、別紙図面(一)表示Cの柱の東側付近に立つていた原告を見た」旨供述している。

(2) 熊田薫は、右公判期日において、「爆竹音を聞いた約一分前に右Cの柱の西側に接して設置してあるウォータークーラーの水を飲んでいた原告を見た」旨供述している。

(3) 山岡憲一は、右公判期日において、「自分は、特別求人が終つた後爆竹音を聞いた前後を通じて、大体二番三番窓口の前の方に立つていたが、当日は原告の顔を見た覚えはない」旨供述している。

(4) 町田利正は、第九回公判期日(昭和四九年一一月二九日)において、「爆竹音がした時、六番窓口の南寄りの所に居た原告と目が合つた」旨供述している。

(5) 原告は、第一一回公判期日、昭和五〇年二月二一日)において、「特別求人が終つた後、爆竹音を聞いた前後を通じて、右Cの柱の付近に居た」旨を供述している。

(三)  右(一)の事実から明らかなとおり、太田・松下両警察官が爆竹投入時の寄場内における原告の位置について認識したところは、本件逮捕当日の右(一)(1)(2)の供述と、その後の(一)(3)ないし(6)の供述とにおいて、明らかな変化が認められる。すなわち、(一)(1)(2)においては、原告が五、六番紹介窓口付近に居たとの認識を述べるのに対し、(一)(3)ないし(6)においては、原告が二、三番紹介窓口付近に居たとの認識を述べるものに変更されている。

ところで、センター内部が別紙図面(一)表示のとおりであることは前認定のとおりであり、センター内寄場が間口約9.5メートル、奥行約7.5メートルの広さであり、寄場の西側相談室との境には向つて右(北側)から左(南側)へ二つの求人窓口と一番から六番までの紹介窓口があり、各窓口の幅は0.7メートルであり、窓口と窓口との間には幅0.26メートルの壁があること、二、三番紹介窓口が寄場内の南北の関係ではほぼ中央部付近に当たることは当事者間に争いがない。この事実によると、右(一)(1)(2)の供述で原告が居たとされる二、三番紹介窓口付近と右(一)(3)ないし(6)の供述で原告が居たとされる五、六番紹介窓口付近とでは、最短約二メートルから最長四メートルの距離が存し、二・三番紹介窓口が寄場内の南北の関係ではほぼ中央部付近に当たるのに対し、五・六番紹介窓口は南側付近に当たるのであつて、爆竹投入時、太田・松下両警察官が居た別紙図面(一)A・B点付近から見ても、右の各箇所の間には寄場内の広さに照らし、判然と区別されるだけの距離が存し、二、三番紹介窓口付近に居た人物の位置を五、六番紹介窓口付近に居たと誤認することはありえないことが認められる。松下巡査は、右認識の変化について、本件における証人として、「自分の見ている位置から数えて六番目ぐらいという趣旨で、(一)の(1)、(2)の供述をしたのであり、六番紹介窓口という趣旨ではなかつた。センターには、本件以前にも一〇数回行つたことがあるが、センターの中には入つたことはなく、紹介窓口の上に、番号が表示されていたことは気がつかなかつた。(一)の(1)、(2)の供述後、もう一度現場(センター)に行つて見て、二番ないし三番紹介窓口であつたことを確認したので、そのような供述に変えた」趣旨の供述をしているが、右供述は、検証の結果から認められるところの各紹介窓口上部に掲示してある紹介窓口の番号を示す①から⑥と記載した円形の番号札が松下巡査の居た別紙図面(一)表示B点付近から見分けられること、(一)(2)の供述において、太田巡査部長が「奥から二番目手前付近の紹介窓口(五番窓口)」と明言していることとも矛盾することに照らし、直ちに措信できず、他に太田・松下両警察官の右供述に現われた認識の変化を合理的に説明できるような証拠は存しない。

これに対し、(二)の各供述は、いずれも爆竹投入時あるいはその直前に、原告が寄場内中央の二、三番紹介窓口付近には居らず、寄場内の南側付近に居た趣旨を供述しており、この点において、最も記憶が鮮明であるべき本件逮捕当日の太田・松下両警察官の認識((一)(1)(2)の供述)とほぼ一致するのであり、また<証拠>によれば、(二)の各供述の内容自体も、本件逮捕当日から約一〇か月ないし一三か月後に当時の記憶に基づいてされたものとしてとくに不自然な点はないと認められる。

以上の点を考慮すれば、爆竹投入時原告が寄場内の二、三番紹介窓口付近に居たとする(一)(3)ないし(6)の供述は、にわかに措信することができず、(二)の各供述により、爆竹投入時原告は寄場内の南側、六番紹介窓口に近い別紙図面(一)のCの柱付近に居たと認めるのが相当である。

3 本件逮捕の違法性

(一) 前記2(一)(1)(2)で見たとおり、太田・松下両警察官は、本件現行犯人逮捕手続書及び本件逮捕当日の供述において、原告が別紙図面(一)のD点付近あるいは六番紹介窓口付近に居た原告が爆竹を投入したことを現認した趣旨を述べているが、この位置から爆竹が投入された二番紹介窓口までの距離は少くとも三メートルあることが同図面から明らかであり、<証拠>によれば、寄場の床面から同紹介窓口の枠下までの高さは約1.13メートル、窓口は横桟二本により三段に分けられ、その上下段にはガラスが入つており、横桟二本の間は0.2メートルでガラスは入つていないこと、したがつて、二番紹介窓口を通して相談室内に物を投入することは同窓口に近接した位置からでないと極めて困難であり、とくに右D点付近あるいは六番紹介窓口付近からでは投入角度の関係で投入はほとんど不可能であると認められ、このことと前記のとおり爆竹投入時前後寄場内には、一〇〇名あるいはそれ以上の労務者が雑然とたむろしていたことを考え合わせると、右各供述において原告が居たとされる位置から、二番紹介窓口を通して相談室内に爆竹を投入できたとは到底認めることはできない。

また、前記認定のとおり爆竹投入時原告が居たと認められる右図面Cの柱付近の位置から二番紹介窓口までの距離は少なくとも四メートルあることは同図面から明らかであり、これと右事実を合わせ考えると、前記2(一)の各供述において太田・松下両警察官が述べているような投入行為の態様で、右位置から二番紹介窓口内に爆竹を投入することは全くできないことが明らかである。

したがつて、前記2(一)(1)(2)の供述において太田・松下両警察官が述べている原告が爆竹を投入したとの認識は事実と適合しない誤つた認識であることは明らかである。

(二) 次に、前記2(一)(3)ないし(6)で見たとおり、太田・松下両警察官は、右各供述において、原告が二・三番紹介窓口付近に居たこと、この位置から原告が右手を上げ、上げた右手を水平または斜め下に振つて二番紹介窓口の中に何物かを投げ込む動作をしたことを各現認した趣旨を述べているが、この供述は二番紹介窓口に近接した位置に居た者でしかできない投入行為を認識したことに基づく供述であることが明らかであるところ、右認定のとおり、爆竹投入時原告は寄場内の南側、六番紹介窓口に近い別紙図面(一)表示Cの柱付近に居たと認められるのであるから、原告が爆竹を投入したとの太田・松下両警察官の右認識が事実と適合しない誤つた認識であることは明らかである。

(三) 以上のとおり、本件逮捕の理由である原告が爆竹を投入したとの太田・松下両警察官の認識は、事実と適合しない誤つた認識であることは明らかであるが、寄場内の原告の位置についての認識が本件逮捕当日の供述とその後の供述で異なり、かつ、本件証拠上その認識の変化を合理的に説明することができないこと前記認定のとおりである以上、太田・松下両警察官の原告が爆竹を投入したとの認識が確たる根拠に基づいてされたものとは到底認めることができず、少なくとも両警察官が捜査官としての通常の注意を払わず、原告を爆竹投入行為をした者と安易に信じた過失に基づくものであることが明らかである。

そうすると、太田・松下両警察官は少くとも過失により確たる根拠もなく原告が爆竹投入行為をした者と誤認し、これに基づいて原告を現に威力業務妨害の罪を犯した者として現行犯逮捕したものというべきであり、その意味で、本件逮捕は違法であるといわざるをえない。

4 逮捕後の司法警察職員の行為

前記1(五)で認定したとおり、原告は、本件逮捕後、山谷地区派出所へ、更に浅草警察署へと連行され、爆竹やマッチ等の押収を受けたほか、司法警察職員による取調べを受けたことが認められるが、本件逮捕が前記のような違法性を有するものである以上、右逮捕状態の継続及び逮捕状態下における所持品の押収、取調もまた、違法性を帯びるものといわなければならない。

三本件勾留について

1 検察官の勾留請求

原告が、本件逮捕に引き続き、昭和四九年一月一八日、捜査担当検察官の勾留請求により勾留されたことは、前記一3のとおりである。そして、<証拠>によれば、右勾留請求の際の、原告に対する被疑事実の要旨は、「被疑者は、ほか多数と共謀のうえ、昭和四九年一月一六日午前七時過ぎころから同七時二〇分過ぎころまでの間、東京都台東区日本堤二丁目二番一一号財団法人山谷労働センター(所長徳永雪志)寄場内において、同センターの職業紹介窓口から同窓口内に爆竹を投げ入れて爆発させ、同窓口のシャッターを乱打し、さらに、紙屑に点火して同窓口内に投げ込むなどし、よつてその間、同センターの職業紹介業務を中断させ、もつて、威力を用いて同センターの業務を妨害したものである。」というものであつたことが認められる。

そこで、本件勾留請求の際、捜査担当検察官が、当時有していた資料から、原告が、右被疑者事実とされているような犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があると判断した点に合理性が存するか否かについてする。

(一) <証拠>によれば、捜査担当検察官は、本件勾留請求時に、次のような資料を有していたものと認められる。

(1)  太田巡査部長が原告を逮捕した四名の警察官を代表して作成した現行犯人逮捕手続書

(2)  松下巡査の作成した原告に対する捜索差押調書及び同調書に記載された押収物

(3)  原告の昭和四九年一月一六日付司法警察員に対する弁解録取書

(4)  原告の同日付司法警察員に対する供述調書

(5)  太田巡査部長の同日付司法警察員に対する供述調書

(6)  松下巡査の同日付司法警察員に対する供述調書

(7)  荒木孝雄の同日付司法警察員に対する供述調書

(8)  同日センター内部及びセンター周辺の実況見分の結果(実況見分は、昭和四九年一月二二日にも実施されているが、これは同月一六日に撮り残した写真を撮影したに過ぎず、実質的には、同月一六日に実況見分は終了しており、その結果は捜査担当検察官に報告されたものと考えられる。)

(9)  同日の実況見分の際押収された爆竹の燃えかす、爆発しないで終つた爆竹の一部、爆竹のセロハン包装紙三枚、全く爆発していない二八連発の爆竹一個(但し、これは、当日、荒木孝雄が浅草警察署で事情聴取された際、相談室内に落ちていたものと任意提出し、領置されたもの)など

(10)  原告の同年同月一八日付検察官に対する供述調書

(11)  山岡憲一の現行犯人逮捕手続書、その他同人の逮捕に関する資料(たとえば逮捕した警察官の供述調書など。これらはいずれも本件において証拠として提出されていないが、前掲各証拠から判断すれば、これらの資料が捜査担当検察官の手もとにあつたことは明らかである。)

(12)  山岡憲一が逮捕された際押収されたセロハン包装紙付爆竹四袋、セロハン包装紙のない爆竹一個、爆竹のセロハン包装紙一枚

(二) 右資料を総合して客観的に検討すれば、右被疑事実の要旨に示されている日時にセンター内で右要旨に示されている態様での威力業務妨害行為がなされたことは明らかに認定でき、寄場内において爆竹を投入した者が原告であるとの点については、寄場から相談室内に爆竹が投入されたころ、原告が寄場内に居り、爆竹、マッチ等を所持していたこと、原告がセンター外に出て、他の労務者五、六〇名とともに一団となりマンモス交番方向に向い爆竹を投げたこと、太田・松下両警察官は、本件爆竹投入の際、別紙図面(一)のA、B点付近に居て、寄場内を監視していたが、右A、B地点からは、寄場内の求人窓口、紹介窓口を見通すことができる状態にあり、右両警察官は、一致して、原告の爆竹投入行為を現認したと供述していたことが認められるのであつて、これらの資料により捜査担当検察官が、原告が爆竹投入行為をしたと認定したことに不合理な点はなかつた、と認められる。

原告が請求の原因二3(一)、(二)で主張する原告を現行犯逮捕したことの不自然さは右勾留請求時の資料からして必ずしも明らかとは認められず、さらに、右(3)、(4)、(10)の資料によれば、原告は、逮捕された後、弁解録取の際にも、取調の際にも、本件被疑事実について全く黙秘していたことが認められるのであり、捜査担当検察官には、右(1)、(5)、(6)の資料と被疑者である原告の供述を対比して、その信用性を検討する機会がなかつたことをも考慮すると、捜査担当警察官が右資料とくに(1)、(5)、(6)の資料に疑いの目を向けることなく、原告が勾留請求の被疑事実とされている犯罪を犯したと疑うに足りる相当な理由が存すると判断して本件勾留請求をなしたとしても、右判断は必ずしも不合理なものであるとは言い難く、本件勾留請求が違法なものであるとは断じ難い。

2  検察官の勾留継続

捜査担当検察官が、昭和四九年一月一八日から同年二月六日まで、原告に対し起訴前の勾留を継続したことは、前記一3のとおりであるが、本件勾留請求は右1に判示したとおり違法性を有するとは言えないのであるから、右勾留継続も違法性を有するとは言えない。

四本件起訴について

1  検察官の公訴提起

原告が、昭和四九年二月六日、捜査担当検察官により、身柄拘束のまま東京地方裁判所に起訴されたことは、前記一3のとおりである。そして、<証拠>によれば、右起訴の際の、原告に対する公訴事実は、「被告人は、ほか多数の者と共謀のうえ、昭和四九年一月一六日午前七時過ぎころから同七時二〇分過ぎころまでの間、東京都台東区日本堤二丁目二番一一号財団法人山谷労働センター(同所長徳永雪志)において、求人受付、職業紹介等の業務に従事中の同センター紹介課長荒木孝雄らに対し、同センター寄場から二番窓口内に爆竹(二八連発式)一個を投げつけて爆発させ、さらに、こもごも、職業紹介窓口のシャッターを乱打し、『仕事を出せ、馬鹿野郎』などと怒号してけん騒をきわめるなどし、よつて、右荒木孝雄らの前記業務の遂行を不能ならしめ、もつて、威力を用いて右山谷労働センターの行う職業紹介の業務を妨害したものである。」というものであつたことが認められる。なお、<証拠>によれば、公判担当検察官は、本件刑事事件の第二回公判期日において、右公訴事実に、「ほか多数の者と共謀のうえ」とあるのは、センターの中にいた約一〇〇名位の者と現場において共謀したという事実で、「爆竹(二八連発式)一個を投げつけて爆発させ」とあるのは、被告人(原告)の行為で、「こもごも」とあるのは、共謀者がそれぞれという意味で、「シャッターを乱打し『仕事を出せ、馬鹿野郎』などと怒号してけん騒をきわめるなどし」は被告人も含まれるが、その他は被告人直接ではなく、共謀者の行為である旨釈明していることが認められる。

そこで、本件起訴の際、捜査担当検察官が、当時有していた証拠によつて、将来、右公訴事実につき、原告に対し有罪判決を得ることができるという合理的な見込が存在すると判断した点に合理性があるか否かを検討する。

(一) 前記一3、4、二1、三1(一)の各事実と<証拠>によれば、捜査担当検察官は、起訴時までに行なわれた取調べの結果、起訴時において、前記三1(一)の資料に加え、次の資料を有していたことが認められる。

(1) 太田巡査部長の昭和四九年一月二二日付、同月二九日付各検察官に対する供述調書

(2) 松下巡査の同年二三日付、二月一日付各検察官に対する供述調書

(3) 荒木孝雄の同年一月二三日付司法警察員及び検察官に対する各供述調書

(4) 神野晃の右同日付司法警察員に対する供述調書

(5) 戸泉巡査部長作成の右同日付実況見分調書

(6) 原告の同年同月二二日付、同月三〇日付司法警察員に対する、同月二四日付検察官に対する各供述調書

(二) 以上の資料によれば、右起訴事実に示されている日時にセンター内で起訴事実に示されている態様での威力業務妨害行為がなされたことは明らかに認定でき、寄場内において爆竹を投入した者が原告であるとの点については、原告を現行犯人として逮捕した太田・松下両警察官が当初から一貫して原告の爆竹投入行為を現認した旨供述しており、一方、原告は取調べに対し一貫して完全に黙秘していたこと、爆竹投入時原告が居た位置について当初右両警察官がした供述は、検察官の取調べにおいて改められ、前記三1(一)(7)、(8)、右(3)、(5)の資料との不一致が解消されていることが認められる。

右事実とく証拠>によれば、捜査担当検察官が、右の資料に基づき、戸泉政富、高橋充、荒木孝雄、太田勝木、松下星路を証人として、差押にかかるマッチ、爆竹等を証拠物として、実況見分調書等を証拠書類として各取調べを請求することにより、原告に対し有罪判決を得る合理的な見込みがあると判断して公訴を提起したことについて、必ずしも不合理な点があるものとはいえず、本件公訴提起が違法なものであるとは断じ難い。

2  検察官の公訴維持

右1のとおり、本件起訴が違法性を有するとは言えぬ以上、本件公訴維持も違法性を有するものとは言い難い。

なお、公判担当検察官が、現行犯人逮捕手続書や太田・松下両警察官の供述調書を証拠申請せず、証人によつてのみ公訴事実を立証しようとしたことは当事者間に争いがないが、この点の公判担当検察官の証拠資料の選択をもつて違法といえないことは自ら明らかであり、その他原告が請求の原因二6で主張するところは、公訴維持において違法でない以上採用できる主張とは認められない。

五被告東京都の責任について

太田・松下両警察官が被告東京都の公務員であることは当事者間に争いがなく、前記の事実によれば、右両警察官の本件逮捕行為は、都の公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて少くとも過失によつてなした行為であることが明らかであるから、被告東京都は、国家賠償法第一条第一項の規定に基づき、右両警察官の行為の結果原告の被つた損害を賠償する義務を負う。

そして、すでに判示したところと<証拠>によれば、本件においては、右両警察官が少なくとも過失により確たる根拠もなく原告を爆竹投入行為をした者と誤認し、これに基づいて原告を現に威力業務妨害の罪を犯した者として現行犯逮捕したことに端を発し、その後右両警察官が原告の爆竹投入行為を現認したとの右誤認に基づく供述を断定的にくり返した結果、右供述を原告と爆竹投入行為を結びつける唯一の証拠として、本件勾留、公訴提起がされ、本件刑事事件の実質的な審理は、右両警察官の供述の信ぴよう性の有無に終始したといつても過言でないと認められるから、本件逮捕のみならずその後の勾留による身体拘束によつて原告に生じた損害その他後記六に認定する損害は、右両警察官の違法な行為と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

六損害について

1  休業損害

原告が本件逮捕及びこれに続く勾留により合計一九六日間身体の拘束を受けたことは当事者間に争いがなく、前記一の事実によれば、一九六日のうち、最初の二日間は、本件逮捕による身体拘束であり、残りの一九四日は勾留(起訴前、起訴後を含む。)による身体拘束であることが認められる。

そして、<証拠>によれば、原告は、本件逮捕当時、主として土木建築関係の仕事に従事し、一日四八〇〇円程度の日当を得て一か月のうち二〇日間程度働いていたものと認められ<る。>

右事実によれば、原告は、身体の拘束を受けていた期間中、一日あたり三〇〇〇円の休業損害を被つたものと認めるのが相当である。したがつて、本件逮捕による身体拘束により被つた休業損害は六〇〇〇円、勾留による身体拘束により被つた損害は五八万二〇〇〇円となる。

2  慰藉料

原告が、昭和四九年一月一六日から昭和五〇年五月二九日までの間、被疑者・被告人という地位を余儀なくされ、右期間のうち一九六日間身体を拘束されたこと、新聞社が爆竹犯人に関する記事を掲載したことは当事者間に争いがなく、これらの事実と原告本人尋問の結果によれば、原告が精神的苦痛を受けたことは明らかであり、これら諸般の事情を考慮すると、原告の精神的苦痛に対する慰藉料は八〇万円をもつて相当と認められる。

3  本件刑事事件の弁護士費用等

原告本人尋問の結果によれば、請求の原因五3(一)(二)の事実が認められ、この事実と<証拠>により認められるところの弁護士大西幸男、同浅野憲一の弁護活動の状況を考慮すると、原告主張の弁護士費用及びその他の費用のうち本件不法行為と相当因果関係のある損害は、五〇万円であると認められる。

4  本件民事事件の弁護士費用

原告本人尋問の結果によると請求の原因五3(三)の事実が認められ、これと当裁判所に顕著な本件訴訟の難易度、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、原告主張の弁護士費用のうち、本件不法行為と相当因果関係のある損害は、三〇万円であると認められる。

5  刑事補償金の控除

原告が本件刑事事件に関し刑事補償として四三万一二〇〇円の支給を受けたことは当事者間に争いがなく、右金員は原告の損害額から控除すべきものである。

6  以上によれば、被告東京都は、原告に対し、右損害額合計二一八万八〇〇〇円から右刑事補償金四三万一二〇〇円を控除した一七五万六八〇〇円を賠償すべき義務がある。

七結論

よつて、原告の本訴請求は、被告東京都に対し、損害賠償金一七五万六八〇〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年一〇月二六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。なお、担保を条件とする仮執行免脱宣言の申立は相当でないからこれを却下する。

(牧野利秋 清水信雄 野尻純夫)

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